多くの人たちと同じようにはなれない。
多くの26歳とは違う。
多くのトランスとは違う。
多くの不登校とは違う。
多くの緘黙症の人とは違う、多くのうつ病の人とは違う、多くの社交不安障害の人とは違う。
同じような人を知っても、この人とはまったく違うと感じるようになった。違うのは当然だ。ただ違いすぎる。常にイヤホンが必要。
実生活で友達を作れない人がネット上では作れるとはよく聞く。自分にはできない。自分から話しかけることが一切できない。
自分以外の全員が幸せそうに見える。
日本語への過敏症さえなければ幸せだったに違いないと思う。では今ほど過敏でなかった15歳くらいまでは幸せだったのか?学校へ行かずにテレビを見て、ラジオを聞いて、漫画や小説や2chを読んでいた。他の大きなストレスがあったために不幸だった。
考えないほうがいい。考えたくない。ないものをねだって不幸になる。
借金がない、家がある、食べ物がある、愛してくれる人がいる、気遣ってくれる人がいる。それが当たり前になっている。いつも幸せな部分に焦点を合わせていたいのに、無理だ。
イヤホンが必要。
イヤホンが命綱。
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