保育所や学校にいる間は、声と表情を一切出せずにただただ黙ってこらえて、待望の帰宅時間を待っていた。
左上は不安が手から読み取れる。家で爪を噛む自己刺激行動が始まった。
右下ではあれから22年経った今でも愛用しているレインボーリストバンドを付けて眩しそうに学校の畑に立っている。
(恥辱のセルフデコは日曜に撮ってもらった例の余計なあれで、比較&知らない子供の神隠し用)
自分とは思えないほど可愛い。メロメロ。死語か?
クラスで一番小さかった。(今でもかなり小さい)
今で言う平成レトロな絵の付いたピンクの服は好きだったけど、親か誰かが着せてくれるフリルやスカートは好きじゃなかった。
みんなで変顔してる。自分と2つ隣の黄色い服の子だけは変顔していません。その子は私の方を向いて、なんだか私に気があるようにうっすら笑った表情。お昼寝中にそっと手を握られたことが忘れられない。
幸いにも、トラウマを負ったりいじめを受けたわけではない。
場面緘黙症、社交不安…。
哀れみすすり泣いてスッキリしました。長い年月を経てあなたは解放されました。
「そうだね、知ってる あなたのその痛みにはきっと耐えられぬほど辛いこともあったろう」Adoの曲の歌詞が再生される。もうすぐとはとても言えなくとも、必ず朝は来る。
不登校になった小学3年生以降だったか忘れたけど、撮られるのが恐怖になってから思春期過ぎるあたりまでの写真はおそらく一枚もない。
とくに顔と胸が他人の目にどう映るかを絶対に知りたくなかった。学校からもらった写真、思春期を迎えたクラスメイトの胸が膨らんでるのを見るだけでも気持ち悪くて辛かった。
変わりたくなかった。
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