子供の頃持っていたシルバニアの人形たちにつけた設定は多様で、養子や母子・父子家庭、貧困、身体障害や発達障害のある人形が多くいた。あの時からすでに人の多様性や現実感が安心を与えてくれた。
シルバニアは決まって同じ種類の動物と動物が結婚して子を生む世界なのが後になって気になった。しかもすべてファミリーだった。
ドールハウスが好きだった。夢いっぱいのものではなく、現実的で生活感のある間取りが。「ぶどうの森のお家」と「緑の丘のすてきなお家」は遊びこんだ。階段の位置と作り、ドア、部屋の広さと自由度。
遊べるように基本手前側の壁がない。それぞれの部屋にドアがない。それが非現実的で気になった。(壁で覆われていたらどう遊べばいいのかとツッコめる)
「赤い屋根の大きなお家」の広告を見た時には、これは違うと感じた。左右にガバっと開くと大きなお家になる、つまり家が変形するのだ。壁の割合も少ない。不自然である。
ハウスは丸まったティッシュを表現した紙くずなどでいつも散らかっていた。主に片付けが苦手な人形が住んでおり、生活感満点だった。
ずっとフツウにドールハウスやミニチュアが好きな子供時代だと思ってた。こうして振り返ってみると細部へのこだわりが強く、現実味を最大限に帯びさせて遊んでいた。現在はドールハウスではなく実際の建物と間取りが好き。ドールハウスは子供時代の欲求を叶えてくれたおもちゃだったのだ。
下を向いて歩いて嫌々通学。そこには広大な森が広がっている。…自分の目から見れば街路樹の下の地味な低木並木だ。ところがフィギュアの目線から見れば美しく巨大な並木である、と妄想して歩くのは楽しかった。水たまりは湖。砂利道は険しい岩場。洗面台に湯をためて露天風呂。
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日糧製パン、デニッシュローフ。「ちぎれるカスタードブレッド」と少し違い、味だけでなく食感まですばらしい。マーガリン入りを長年避けていたのにおいしいパンの味を知ると甘やかしてしまう。
食パンにマーガリンを塗って食べてきたばあちゃんは今80歳過ぎてまだ一度もがんになっていない。発がん性…本当だろうか、どれくらい妥協したらいいのかな。
今年は初めて縦長バーチカルの手帳を使っている。
先週は食事内容、先々週はしたことを書き留めた。何時にパンと豆腐とリンゴを食べた、何時に起きて掃除をしネットをした、ああこれをしたから書かねばと単調な毎日なのに半強迫行為になってしまいそう。
そこまで書く必要はやっぱりないとわかった。他に書くことが見つかるか何を書こうかと実験する。
夕方のダイソーにて、一人で謎の言葉喋りながらせわしく歩き回る人がいた。少し経ったら喋りながら床に寝そべり伏せていた。通りがかった人がそれを無言で見てた。そりゃ床に伏せてたら見るよね。
一人で来たのか、あのまま一人で床に寝させてると保護者を呼び出されるだろう。この町にはこんな人もいる。心配になりながらも密かに微笑んだ。